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武家の雑煮は野戦鍋

平成28年1月18日(月曜日)

さばの味噌煮・ふきの油炒め・白玉雑煮・ごはん・牛乳

今日は東京でも雪! 天気が荒れ始めてますね!!
給食の白玉雑煮はどうでしたか?雑煮は、だしが効いていて、具だくさんで美味しかったですね。
お雑煮は、地域によって味付けや使われる食材がさまざまです。今日の給食では、鶏肉・にんじん・大根・三つ葉・ごぼうを使い、しょうゆで味付けし、関東風に仕上げました。お餅の代わりに白玉を入れました。

雑煮を調べてみると・・・元来は武家社会における料理だそうで、餅や野菜、乾燥食品などを一緒に煮込んだ野戦料理だったのではないかと考える説があります。この説によれば、正月に餅料理を食する慣習は古代より「歯固」の儀式と結び付いた形で存在しており、それと関連して発生したそうです。雑煮は元は烹雑(ほうぞう)と呼ばれており、この料理が次第に武家社会の中で儀礼化していき、やがて一般庶民に普及したものと考えられています。
本膳料理においては初献に雑煮が出され、武家社会における饗宴には欠かす事のできないものだそうで、食事ではなく酒の肴として位置づけです。
尚、初献に続く二献・三献は酒礼の場で饗応され「式三献」と称されるそうですが、本膳とは区別されます。永禄11年(1568年)の『朝倉亭御成記』や年不詳『奉公覚悟之事』などによれば式三献は寝殿や主殿、雑煮以下は会所へ場所を移していることが記され、雑煮は式三献に含まれないとする説もあるそうです。

江戸時代、尾張藩を中心とした東海地方の諸藩では、武家の雑煮には餅菜(正月菜)と呼ばれる小松菜に近い在来の菜類(あいちの伝統野菜)のみを具としたそうです。餅と菜を一緒に取り上げて食べるのが習わしで、「名(=菜)を持ち(=餅)上げる」という縁起担ぎだったというそうです。
このような習わしが武家社会一般の作法だったという説は、誤伝による俗説だとも言われています。(この影響もあり、現在でも名古屋市周辺では餅と餅菜のみの雑煮があります)

奥が深いことだけ・・・わかりました(苦笑)
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